興国 寺 城。 興国寺城 − Koukokuji Castle

興国寺城跡(こうこくじじょうあと)/沼津市

個人的には、天文十八年に義元が興国寺を移転させた際に「拡張」 されたのか、それとも「築城」されたのかがポイントと考えています。 必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。 古い段階の大空掘とほぼ1直線に並んでいる。 今川義元の時代にも興国寺城を改修したとありますが、現在の規模はもう少し後の時代に修繕したように思えます。

もっと

興国寺城

武田氏の滅亡後、駿河の徳川氏支配が確立すると、現在の静岡県域では拠点となる城郭に機能を集中する動きが確認されており、興国寺城も多くの軍勢が駐屯可能な徳川氏の拠点のひとつとして改修されたと考えられている。 慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いにより中村家 が伯耆へ加増・転封となると、翌六年(1601)に徳川家直臣天野康景(三郎兵衛)が 1万石で興国寺藩主となった。

もっと

興国寺城 − Koukokuji Castle

ただし、戦国期には東側の低地は「浮島沼 蓮池 」だったようで、その水を南や西まで引き込んでいたと考えると、それなりの防御態勢はあったと思われます。 元亀2年(1571年)に甲相同盟が再び成立すると、武田氏に引き渡され天正10年(1582年)まで支配下におかれた。

もっと

興国寺城

義忠の嫡子竜王丸(後の氏親)はまだ幼く、一族の実力者でもあった小鹿範満が、家督を奪おうとしていたのである。 沼津城は北条氏が伊豆支配のため韮山城の支城として築いたものといわれているが、明らかではない。 しかし、遺構などはほぼ隠滅状態となっている。 後に早雲は伊豆に進み韮山城を奪取すると、居城をそちらに移すことになるが、西の備えとして興国寺城は常に重要な支城であったといえるだろう。

もっと

興国寺城 巨大な堀切と高い土塁に囲まれたココから戦国時代が幕を開けた

天守台の上には石が配列してある。 新幹線の三島駅から、東海道線でローカル線に乗り換え、原駅まで(15分の距離)。 その向こうには北曲輪が、そしてそこから 回り込むように蓮池を挟んだひとつ東側の峰先には清水曲輪があったとされていますが、 どちらも畑などの私有地となっていて立ち入りはできません。 ピット群• 三の丸 [ ]• 永禄11年( 12月、が甲相駿三国同盟を破棄して駿河に侵攻、は今川方の援軍として( まで兵を出すが、この際に興国寺城を自領に収め、を城番(のち城主)に任命し、垪和は城の改修を実施している。 2年あまり前のことである。

もっと

興国寺城 − Koukokuji Castle

ここも全く整備されていなかった遺跡スポットです。 この至近距離での高低差と圧迫感は、やはり直接体験してもらううしか無い。 これは行くしかありませんね。 三日月堀• 今回、伊豆や駿河の城を回ろうと思って、沼津城のことをネットで調べているうちに、ふと見覚えのある写真を見つけた。

もっと